忍者ブログ

Psycho 心理学

心理学と哲学

心理学を誤用すると顧客不信を招く

たとえばさ、最近SNSとかビジネス系の情報発信を見てると、やたらと心理学っぽい言葉をちょっとだけかじって、それを商売やブランディングに結びつけて語る人が多いでしょ。別に心理学を応用すること自体は悪いことじゃないんだけど、どうもその使い方が表面的で、まるで魔法の呪文みたいに扱っているのが気になるんだよね。心理学って、実は学問としてはすごく泥臭くて、統計データや実験の積み重ね、そして研究ごとの前提条件を細かく吟味する姿勢が必要なのに、それが完全に抜け落ちたまま言葉だけが飛び交ってる。
 
例えば「アンカリング効果」という言葉。これは認知心理学や行動経済学でよく語られる概念で、最初に提示された数値や情報が判断の基準になってしまう、というものなんだけど、SNSマーケター的な使い方だと「価格を高く提示してから安く見せれば売れる」みたいに極端に単純化されてしまう。本来は状況や文脈によって働き方が変わるし、そもそも人によって受け取り方は違う。なのに「これを使えば誰でも買いたくなる」と断言するのは危うい。
 
あるいは「ドーパミンが出る」という表現。これもよく耳にするよね。通知が来るとドーパミンが出て依存する、ゲームはドーパミンでやめられない、っていうやつ。

でも神経科学的に言えば、ドーパミンは単なる快楽物質じゃなくて「報酬予測誤差」を伝えるシグナル。つまり「思ったより良かった」時に出るだけでなく、「思ったより悪かった」時の学習にも関わる複雑な物質なんだよ。それを単純に「ドーパミン=気持ちいい」って短絡的に語るのは、学問的にはほとんど誤解と言っていい。
 
そして「承認欲求」という言葉も誤用の代表例。本来は心理学的な理論の一部で、マズローの欲求段階説の中で語られたり、臨床心理学で自己評価の問題として扱われたりするんだけど、SNSだと「承認欲求が強い=かまってちゃんでダサい」みたいな使われ方をしている。学術的な議論では承認欲求をどう満たすか、またはどう社会的に調整するかが大事なのに、SNSマーケティング的な文脈だとただのラベル貼りに堕している。
 
心理学用語のこうした誤用は、実は二つの理由で広がってる。一つは、専門的な文脈を無視してでも「わかりやすく伝えたい」という欲望。もう一つは「権威づけ」としての利用。つまり「心理学的に証明されてます」と言えば、それが正しいかどうか検証されなくても、人は信じやすい。そこに商売っ気が絡むと、用語は一気に「魔法の言葉」になる。
 
でも、心理学は本来そんな万能ツールじゃない。実験の条件が違えば効果が再現されないことも多いし、統計的に有意な差が出たとしても実生活にそのまま応用できるとは限らない。近年では「再現性の危機」と呼ばれて、過去に有名だった実験が再現できないケースも次々と報告されている。だからこそ心理学は「人間は複雑で、一筋縄では説明できない」という謙虚さを前提にして進んでいるのに、マーケターたちはその複雑さをバッサリ切り捨てて、「人はこう動く」と断言する。そこに僕は危うさを感じるんだ。
 
とはいえ、心理学を応用すること自体を否定したいわけじゃない。むしろ人間理解に基づいたマーケティングは有効だし、サービス設計や広告表現に心理学的な知見を取り入れるのは意味がある。ただ、その時に必要なのは「これは実験条件下で確認された傾向にすぎない」「必ずしも全員に当てはまるわけではない」という留保を忘れないこと。そして「心理学用語を使うことでわかった気になる」危険から距離を取ることだと思う。
 
心理学を使う人に一番欠けているのは「自分も含めて人間は複雑だ」という感覚なんだろうね。都合よく切り取った理論をマーケティングに貼り付けても、それは浅い解釈に過ぎない。むしろ、人間の曖昧さや矛盾を前提に、どう向き合うかを考える方がよほど哲学的で、かつ実践的だと思うんだ。
 
――こうして考えると、心理学の誤用って、実は人間の「簡単に答えを求めたい」心理そのものの表れなのかもしれないね。
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
Psycho
性別:
非公開

心理学

心理学