心理学と哲学
諸行無常の解説の多くは、諸行無常の「諸行」に対し、諸々の物や出来事、つまり現象という感じで捉えられていますが、さらに厳密に考えた場合は、この行は「形成作用」や「形成されたもの」という意味を持ちます。それは客観的な現象だけでなく、意識の内側で起こった感情や動機までもが含まれている。 諸行無常は諸法無我、一切行苦、涅槃寂静と合わせて三法印、四法印としてよく語られる。 「縁起」「執着」を捉えるための本質的な理として仏教の中核をなす。
諸法無我(パーリ語:sabbe dhammā anattā)とは、全てはあらゆる因縁によって起こっており、その中で固定的な「我」というものは無いというような意味です(厳密には「我ならざるもの」)。この諸法無我と自己の意識はどう関連しているのだろうか?
諸法無我
愛する人との死別という形が最もわかりやすいですが、愛別離苦は人との別れだけでなく、人であれ動物であれ生き物との別れというものもありますし、物であれ、環境や情景であれ、好きなもの愛するものと別離することで生じる一切の苦しみを意味します。それは死をもって別れるということも対象となりますし、壊れた、無くなった、どこかに行ってしまった、以前とは変わってしまった、というように何かしら「変化してしまうこと」で起こる苦しみです。死別の悲しみを筆頭に、死をもって別れるという場合が多いですが、壊れた、無くなったというものだけでなく、「変わってしまった」「変化してしまった」ということで起こる苦しみです。
「愛別離苦」愛するものと別れる苦しみ
物には時がある時を止めることはできないかもしれませんが、時間の解釈という機能を停止することはできます。極度の集中で意図的にできる人もいますが、そんなことができなくても、深く眠っている間は、時間はあったでしょうか。
瞬間瞬間に起こっては消滅しています。でも無いところから新たに生じたわけではありません。消えてもその消えたことが次の原因になります。未来永劫何かが消えるというわけではないのですが、実体はありません。実体はなくても、原因としてある種のDNAや材料を残しているようなものです。心は受け取るだけ
それ「自体」を指していると考えていても、付着した性質がついたまま捉えていることはよくあることです。例えば、愛国ということを考えてみても、自国のこ とを好きなことはかまいませんが、他国と相対的に比較して、よい所をもっと主張しようとしてしまいます。その結果他国への怨恨が生まれるような事がありま すが、恨みの気持ちは他のだれでもなく自分の心を蝕みます。それ自体